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Project B/No.04,2006 vol.16「B食を支える男性」
日本人の口にあう幸福の洋菓子を創造する/Guest:柳 正司 さん パティスリー・タダシヤナギ シェフ パティシエ
毎日が真剣勝負のクレッセント時代
「ここは女房の実家でね。こうでもしないと、家族と過ごす時間がまったくとれないと思って、ここに開店したんですよ」 というのは、パティスリー・タダシヤナギの柳正司シェフである。「海老名にお店を構えた理由は?」という質問への返答だ。 「毎晩毎晩、仕事に明け暮れて、通勤に時間がかかるようだと、きっと子供が目を覚ましている時間に帰宅できることはない。そういう生活を、クレッセント時代に送っていました。毎日、終電帰宅です」 クレッセントは、フランス料理の名門レストランである。柳は29歳の若さでそのシェフ パティシエとなり、デザートを任された。1983年のことである。 「最初は、自信満々で行ったんですが、その自信はすぐに打ち砕かれました。週メニュー、月メニュー、季節ごとのグランドメニューを考えなくちゃいけない。来る日も来る日も、メニューばかり考えているわけです」 コースメニューの最後を締めくくる責任は重大である。画竜点睛という言葉の「竜の眼」にあたるのが、最後のデザートだ。そこでの印象が、料理への満足感に大きな影響を与える。 「2年目で不整脈が出ました」 というほどの激務。しかし、その環境を利用して「パティシエとしての柳正司」の確立に成功したことも事実である。真剣勝負を続けたからこそだ。 →
オリジナルケーキ・ジュピター
八雲店でも一番人気のオリジナルケーキ・ジュピターの最終仕上げ行程。中はこんなふうになっている。一口ごとに変化あるハーモニーを楽しめるケーキの秘密。
根強い人気のモンブラン
こちらも根強い人気のモンブランの断面。
繊細な仕事が伝わってくる。
母の日限定のカーネーション
母の日限定のカーネーション。上は本物の花かと思うが、ホワイトチョコレートでできている。見た目で幸せ、中のイチゴのムースと一緒に口に入れるともっと幸せなケーキ。
「いろんな種類のコニャックで作り比べしてみたこともあるんですが、やっぱり、いいコニャックだと、作りこむほどに香りが際立ってくる。それが、安いのを使うと、アルコール臭くなるだけなんです。バターも違いますよ」
タダシヤナギでは、二つのバターを使い分けているという。
「だいたいバターって、余乳、つまり余りもので作るんですが、こちらのバターは、バターのために搾乳し、作られています。この二つはさらに製法が違い、タカナシバターは生クリームっぽい香りで、ブール・フレゼはきめ細かく伸びが良い。」
と、少し味見もさせていただいた。凄い。きめ細かい。これがあの口どけと風味をつくっているのだ。
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毎日が素材の吟味。すべては400円の幸福のために
最も素材として難しいのは、イチゴなどのフルーツ類だという。私たちがふつうにイチゴを買っても、当たり外れが激しいのだから、その苦労は並大抵のものではない。
いつもいつも「お客様の期待にこたえる味」でありつづけるために、産地や品種を変えつつ、調達していかなくてはならない。
「常に材料は、吟味をしておかなくてはいけません。いつも同じ会社からおろしてもらうというのでは、いけないんです。時期によって、年によって、味と価格は変わりますから」
という柳の気がかりは、「最近の日本の洋菓子界は、若いパティシエの技術レベルは上がっているのに、商品開発能力のレベルが上がっていない」ことだという。「何が欠けていると思いますか」という質問への返答は、意外にも「心構え」だった。「作り方を学ぶ職人」ではなく、「おいしさのために、日々、工夫を重ねる職人」であれ、という。
「接客でもそうでしょう。わざわざ足を運んで来られたお客様に、『売り切れました』と伝えるときに大切なのは、『申し訳ないことをした』という気持ちです」
新しい商品作りへの情熱も、毎日の味を守るための隠れた努力も、すべては、お客様に幸福をお届けするためなのだ。 「洋菓子って、記念日に買って行かれる方が多いでしょう。そういうお客様が、笑顔でまたいらしてくださって、『この前はありがとう』などとおっしゃってくださるのが、とてもうれしいですね」 という柳は、洋菓子の中に自分の気持ちを自在に込めることのできるパティシエである。
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コンフィチュール
コンフィチュールも二つ以上の果物を組みあわせたオリジナリティのあるものばかり。新作を全部試すファンもいるとか。パンだけでなく、チーズやワインとのマリアージュも試してみたい。
チョコレートと焼き菓子
生菓子につい目が行ってしまうが、チョコレートと焼き菓子も見逃せない。店内は甘くやさしい香りで満ちている。
ギモーヴ
マシュマロに固定概念をもっている方は、
ぜひ試して欲しいギモーヴ。
柳 正司 さん
柳 正司 さん
「まず、自分のオリジナリティを確立することを目ざしました」
洋菓子は見た目も重要である。味わいに加え、デザインの工夫が欠かせない。「誰もやったことのない、新しいデザイン」を柳はめざした。その参考とするために、クレッセントにある調度品やテーブルウェア、皿に描かれたエッチングなどを暇があったら見つめていたのだという。
その結果、柳は1995年のクープ・ド・モンド準優勝(日本代表チーム3名の一員として参加)のほか、多くのコンクールで受賞を果たし、その名を知られるようになった。フランス菓子の伝統を守りながら、その上に自分のオリジナリティをかぶせていく。柳をはじめ、日本のトップクラスのパティシエは、職人というよりは芸術家だと言うほうが適切だろう。
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お酒一つで変わる味わい
そして1998年、柳は海老名にパティスリー・タダシヤナギを開店した。 「この立地にこの大きさのお店(売り場面積5坪)だと、1日の売上は3万8000円だ、なんてマーケティングソフトがはじきだしていたんですよ。『ちょっと、それではあまりにも(経営が)厳しいなぁ』って、いろいろ考えましたね」 という柳だったが、いざ開店してみると、思いのほか、順調に売上がのびたのだという。 「うちのケーキは、当時のこの周辺の相場からすると、倍の値段でした。だいたい1個200円なのが、ここでは400円する。お店に入ってくれるんだけれど、『高いわね』ときびすを返されたり、『これならイチゴをパックで買ったほうがいいわね』と言われたりもしました」 というのは、いまではすっかり笑い話。柳を知る人は遠くからわざわざクルマで買いつけに行き、食べた人はその噂をふりまいた。結局、2002年にマルイ店を開店させる前は、母の日などの記念日には長蛇の列ができ、「お店のドアが開きっぱなしになった」というほどになった。 食べるほどに、「400円」の意味と価値がわかる。その中に、柳の創造性が存分に発揮されているからだ。デザイン面では、華やかだが、しかし一方で心の落ち着く曲線を使うのがうまく、味の面では緊張と調和が組み込まれる。ひとつのケーキを食べても、同じ味が続くことがなく、飽きない。そして、やさしい。柳の洋菓子からは、徹底的に基本が鍛えられた自由奔放さが伝わってくる。
「クレッセント時代に、料理に使ういろんなお酒や材料を、自由に試させてもらったのが大きい」
と振り返る柳だが、いまも日々、材料の吟味を欠かさない。←
2種類のバター
柳シェフはこの2種類のバターを使い分けている。ブール・フレゼは、きめが細かく、可塑性が高い。タカナシの北海道バターは、生クリームのような香りをもつ。

コラム
クレッセント
芝公園の一軒家フレンチレストラン。1957年創業。その料理は本場フランスにも劣らないと言われる日本の本格フランス料理の老舗。
東京都港区芝公園1-8-20
http://www.restaurantcrescent.com/
クープ・ド・モンド
フランスのリヨンで2年に一度開催される世界最大の国際外国産業見本市「SIRHA」のメインイベントの一つとして行われる、洋菓子職人の世界大会。審査員が見守る中で、洋菓子を作り上げる。サッカーのワールドカップのように、洋菓子界では権威ある大会である。
コニャック
フランス西南部シャラント川沿いの地域のブドウから作られたブランデーのこと。ブドウの品種はサンテミリオン デ シャラント(ユニ ブラン)。 この品種で造られるワインは酸が強く、アルコール度数も低いため、ワインとしての評価は低いが、それを蒸留すると、良質のコニャックに生まれ変わるところがおもしろい。酸の強さが、長期熟成によって、よき香りを醸しだすのだという。
パティスリー・タダシヤナギ

パティスリー・タダシヤナギ海老名本店
住所:神奈川県海老名市国分寺台1-5-2
電話:046-234-3777
営業時間:10:00〜18:00
定休日:毎週水曜日、第1・第3木曜日
(祭日と重なる場合は営業)

パティスリー・タダシヤナギ八雲店
住所:東京都目黒区八雲2-8-11
電話:03-5731-9477
営業時間:10:00〜19:00
定休日:毎週水曜日

パティスリー・タダシヤナギ
マルイファミリー海老名店
住所:神奈川県海老名市中央1-6-1
営業時間・休日はマルイに準じる
 
 


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写真・文・古瀬幸広