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Project B/10月 vol.11「B食を支える男性」
たしかな「野菜」を届ける「八百屋」の誇り/Guest:上田 欣司さん 京都・錦「かね松」(京都府京都市・錦市場)
京都が「野菜の本場」である理由
野菜は最も身近にあって、私たちの心身を豊かにしてくれる食材だ。人類は、主食と主菜の組み合わせを見つけたからこそ生き抜くことができ、「文化」を発展できたのではないかとさえ思うほどである。そしてもちろん、野菜は、主菜と副菜の重要な脇役だ。
「野菜の本場」と聞くと、レタスをつくる高原や、ジャガイモ畑の続く北海道を思い浮かべたりするが、この「野菜の本場」という概念が成立するのは、現代だからこそ、である。
もともと野菜は、身近な畑で作られ、そこで消費されるものだった。地産地消という言葉があるが、野菜についていえば、それが当然のものだったのである。都市以外では、いまでも自前の畑で野菜をつくるのが普通なのだ。地産地消どころか、自産自消のものだったのである。
それでも、やはり京都は別格である。「野菜の本場」というにふさわしいと思う。その理由は、たしかに京野菜はおいしい、ということだ。
これは、京都に都があったことと深く関係している。平城京から平安京に遷都したのは794年のこと。以来、鎌倉や江戸に幕府が置かれることはあったが、明治時代まで、京は都であり続けた。
都には、人と情報が集まる。交易がある。日本中の珍しいものが都に献上され、中国から日本へとやってくる使節も、京に野菜を伝えた。京都でしか見かけない珍しい野菜が多いのも、ここが情報の集まる「最先端の地」であったことを理解すれば納得できる。→
ディスプレイ
石に水をたたえてわさびやみつばをディスプレイ
無農薬野菜
役者一覧のような雰囲気で野菜が迫る
無農薬野菜
無農薬野菜も取り扱っている。
「一度、食べてみて欲しい」とのこと。
これは、トレーサビリティそのものである。ただ違うのは、ICタグによるトレーサビリティは消費者に信頼の材料を提供するのみだが、かね松はお客様に代わってトレースし、判断もしているということだ。だから、消費者は「かね松」の看板を信用するのみでよい、ということになる。
これぞ、専門店のあるべき姿だと思う。販売に人件費がかかることを逆手にとり、それを生かしている。かね松では、誰もが野菜に対して深い知識をもち、料理法のアドバイスもしてくれる。消費者に詳しく説明できるから、高級品にシフトしても耐えられるのだ。
「どんな人が作った野菜なのかも、答えられますよ」
というところが凄いし、おもしろい。「やっぱり、人柄のええ人が作ったもんは、おいしいんですわ」というのだ。「人柄がいいこと」を客観的に判断するのは困難なので、この話を科学的に立証するのは難しいが、これはかね松の長い商売において培ってきた経験値として貴重なものである。
そもそも、ここまで話せるほど、作り手とコミュニケーションをとり、その苦労がわかっていれば、お客様に対する説明にも力が入るというものだ。
自信をもった店員に薦められるから、高くても思いきって買える。そして食べてみれば、やっぱりおいしい、のである。かね松は、トレーサビリティを越える「信用のネットワーク」をもっている。
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「言い値」で買うかね松のこだわり
「うちのこだわりは、農家の『言い値』で買うことですわ」
これが「昔からのかね松のこだわり」だという。丹精こめて作ったものを、「値切る」などというは、「農家のみなさんに対して失礼や」というのである。
安く仕入れて、高く売ることが「商売」だと心得ている人には理解できないだろうが、「言い値の価値がない」と判断すれば、買わないだけのことだから、じつは変わったことをやっているわけではない。
逆に、言い値で買うからこそ、かね松の商売が成り立つのだ。農家は、畑の中でできた作物のうち、とくに出来のいい飛び切りのものだけを選んでかね松に持ちこむ。かね松は、「いいもの」なら売る自信があるから、仕入れる。そしてお客様は、「やっぱりおいしい」と満足する。この循環が、信用のネットワークをさらに強化していくのである。
「旬の時期の野菜のうまさを、みんなに味わってもらいたいと思うてます。夏の賀茂茄子、胡瓜、鷹峯とうがらし、万願寺とうがらし、鹿ヶ谷かぼちゃ、秋の松茸、小かぶら、ズイキ、冬の九条ネギ、聖護院大根、かぶら、堀川ごぼう、水菜、海老いもなど。京都は年中行事のひとつひとつに、食べる野菜が決まってますねん」 →
松茸
かね松は古くからの松茸問屋でもあり、松茸の取扱高も多い。
野菜をチェック
農家から送られてきた野菜をチェック。
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コラム
主菜
いわゆる「おかず」のこと。ここでいう「菜」は「菜っぱ」の菜ではなく、魚や肉も含む副食全般を指している。この使い方は日本語の伝統的な使い方で、源平合戦の昔は、酒の肴を「酒菜」と書いた。近世‐近代まで、現在の我々が使う「菜」に近いイメージの言葉は、「青物」であった。
地産地消
「地元生産−地元消費」を略した言葉。地元で生産されたものを地元で消費するという意味であるが、わざわざ「地産地消」という場合は、地元経済の振興という概念がこめられている。
京野菜
京野菜本来の京野菜は、現在でいう京都市内でつくられたものをいう。つまり、平安京とその周辺でできたもの、ということである。最近の八百屋の店頭には「京野菜の種を使って他の地域で作ったもの」も、京野菜として並んでいる。
京野菜の特徴は「調理」とセットになっていることだ。京都は長く、魚も塩漬けや干物しか手に入らなかった土地柄で、その材料の不利を補うために、出汁を徹底活用する調理法が発達した。そのため、野菜を生で食べることは滅多になく、「サラダ」といった瞬間に、京料理、京野菜のカテゴリーをこえてしまう。
水の利
高野川、鴨川、桂川の3本の川が京都市内を流れ、その昔は適度に氾濫もし、土地を豊かにした。
有職料理(ゆうそくりょうり)
朝廷で供された料理のこと。現在の京料理のルーツのひとつ。
本膳料理
箸と椀で食べるいわゆる和式の料理のこと。有職料理をひとつのツールとし、さまざまな流儀を取り入れながら、いわば「日本風」として高められた料理をいう。一汁三菜を基本とし、その中身は飯、汁、香の物、なます、煮物、焼物である。
豪華になれば、三汁七菜のように汁も菜も増えていく。菜(副食)は必ず奇数という決まりがある。岐阜県高山市には、戦国武将金森長近の孫、金森宗和が京で学んで編み出した宗和流本膳料理が残っており、そのすべてをいただくと10時間以上かかるという。
茶懐石料理
懐石料理は本来、精進料理のことである(修行中の禅僧が寒さをしのぐために石を懐いたことから、懐石という言葉は禅僧と深く関係がある)。その伝統を受け継ぎながら、茶の湯のひろまりとともに、客人をもてなすために考えられた料理が茶懐石料理である。現在の我々のイメージする懐石料理は、まさに茶懐石料理である。その後、江戸時代にはオランダ人が伝えた西洋料理の影響なども受け、今日の姿となっている。
精進料理
禅宗の広まりとともに工夫されるようになった、肉・魚を忌避する料理法のこと。
錦市場
京都の人々は親しみをこめて「にしき」と呼ぶ。豊臣秀吉の天下統一後に、魚や鳥の市場として成立したという。地下水が豊富で魚や鳥の保存に便利な土地柄で、御所にも近いというのが、ここに市場ができた理由らしい。1770年には、青物立売市場の開設が奉行所より認められ、現在の形となる。紆余曲折はあるが、いまも昔は、「京都の台所」といえば、「にしき」である。
 
上田 欣司さん
上田 欣司さん
徳川家康が江戸に幕府を開いたとき、すでに京は30万都市であったという。それだけの人間が生活をすれば、大地と台所の間で栄養の循環が起きる。もともと肥沃で、水の利もあった京の都を、情報と人々が耕して、野菜の本場にしたのである。
さらに、都の主役である朝廷と寺院が、野菜を積極的に活用する食文化を練り上げた。朝廷で調えられた有職料理本膳料理となり、近世に茶の文化と出会って茶懐石料理へと分化する。
一方、寺院で工夫された精進料理は、肉・魚を避けて考案されたもので、当然、野菜が主役となった。京野菜は、都の料理界からの要望も肥やしにして育ったのだ。
京野菜は、つまり、土地と都の文化に育てられた野菜なのである。
「うちは青物商の『上田商店』として明治時代に始まったんですわ」
というのは、錦で八百屋「かね松」を営む四代目、上田欣司である。
「その頃は、京野菜安売りの八百屋で、京都でいちばんぎょうさんの野菜を取りあつこうてることで有名な店やったんです」
やおや、とはっきり言うところが好ましい。
余談になるが、以前、NHKラジオにゲストで出演したとき、「八百屋という表現は避けてください」と言われ、驚いたことを思い出す。「差別的表現だとクレームがつくことがあるので、『青果商』と言ってください」というのである。
「セイカショー? そんなもの、ラジオで聞いて、誰がわかる?」と思ったものだ。八百屋が自らの仕事に誇りをこめて「やおや」と呼ぶのは、とても心地よい。
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「飛び切り」のものを届ける八百屋へ
「それが変わってきたんは、高度経済成長の頃からですねえ。変わらざるを得なかったんです」
欣司の父・耕司の代のことだ。高度経済成長とともに急激に変貌した生活様式の前に、八百屋は難しい選択を迫られた。冷凍冷蔵庫が普及し、クルマでスーパーマーケットに出かけて買い込む、という生活スタイルが定着しだした。
「安く、量を売る」という点においては、スーパーマーケットにかなわない。そして、同じような商売を続けていたのでは、「やおや」としての存在価値がわからなくなる。
こうした変化に対して、かね松が選択したのは、「本当にまじめに作られた、おいしくて安全な野菜」を厳選して、扱うことだった。
「かね松は『土から胃袋まで』というのがキャッチフレーズの店です。生産者の方の顔を見て、作り方を見て、『これはええ。おいしい』と思うたもんだけ、扱うてます」←
野菜の旬
野菜は「旬」に食べるのが最もおいしく、栄養価も高い
という。「うちの野菜が、高いことはようわかってます。毎日、うちで買うてもらえるのが最高ですけど、そうでなくても、行事とかで飛び切りのものが必要なときに、買うてもらえたらうれしい」
京野菜ではなく、「かね松」がブランドなのである。その商売は「小売業」の範疇を越えている。ただ野菜を並べて売っている商売とは、一味も、二味も違う。
下手をすると、化学肥料と農薬まみれのうえ、なんの風味も残っていない季節外れの野菜が店頭に並ぶ今日だからこそ、消費者はかね松の野菜が一般的な野菜のそれよりも高いことの背景にある「構造」を理解しておくべきだと思う。
「でも、最近のお客さんを見ていると、ちょっと不安になることもあるんですわ」
という。「料理に手のかかる野菜が敬遠されるようになってきた」というのがその根拠だ。調理法を訊かれ、「下ゆでして、アクを抜いてくださいね」と言った瞬間に、購入するのをやめる人が増えた、というのである。
たしかに、このまま行くと大きな問題になるかもしれない。下ゆでの手間を嫌がっているだけなら、まだいい。ひょっとすると、アクの出ない野菜=風味のない野菜を好む人が増えている可能性がある。よく漬かったお漬物を「食べられない」と言う若者が増えているのと、同根の現象ではないかと思うのだ。
いま私たちの食文化を守るために必要なのは、「本物の味」を後世に伝えることではないか。
「私の代には、どんなことになるんかわかりまへんけれど、暖簾を大事にして頑張ります」
農家から直送されてきた野菜の香りを、いとおしそうに嗅いで質を確かめる四代目なら、きっと私たちにこれからも「旬の本物の野菜」のおいしさを伝え続けてくれるに違いない。
父・耕司氏と並ぶ上田欣司氏
父・耕司氏と並ぶ上田欣司氏
看板と大福帳
創業当時の看板と大福帳
ステンレス製品
父・上田耕司氏の著書。調理法も紹介されており、楽しめる。

本文中の写真は、すべて正式に撮影許可を得てから、野菜の傷むストロボ発光を控えて撮影したものです。
通常、かね松の店内は撮影禁止となっていますので、ご注意ください。また、野菜は手で触られると著しく傷みます。「手にとったら、買う」くらいの心構えでお店に入りましょう。


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(文・写真 古瀬幸広)