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Project B/6月 vol.8「B食を支える女性」
かっぱえびせんが守り続ける創業者の味と心/Guest:北村 恵美子さん カルビー株式会社スナック商品グループ ベーシックブランドチーム
「ここは魚市場?」
「わあ、話には聞いていたけれど、本当に生のエビをこんなに使うんだ!」
思わず声をあげたのは、入社3年目(当時)で「かっぱえびせん」のブランド管理を担当することになった北村恵美子である。北村は、カルビーの入社動機に「かっぱえびせんが好きだから」と書いたほどのファン。念願がかなった異動だった。
「すべてこの目で確認しておきたい」と工場見学に出かけた北村を待っていたのは、生のエビ、エビ、エビである。
「よく、エビ風味の調味料を使っているの? と訊かれるのですが、そうではなくて、本当に生のエビを使っています。工場に行くと、『ここはひょっとして魚市場?』と言いたくなる感じなんですよ。えびせんだけではありません。弊社は風味調味料に頼らず、いつも本物を入れるんです。野菜スナックも野菜を入れるから、冷蔵庫をあけるとど〜んと野菜が入っている」
こう誇らしげに話す北村の精神は、カルビーの創業者であり、かっぱえびせんの発明者でもある松尾孝(1912年‐2003年)が、創業の頃から会社の精神として植えつけてきたものだ。
松尾は、戦前から広島で食品会社を営んでいた。周知の通り、昭和20年(1945年)の広島は一瞬にして市内中心部が廃墟と化す混乱のさなかにあった。松尾はそこで、再び「みんなが喜ぶ食べ物を作ろう」と決心したのである。→
初めて小麦粉でつくられた「かっぱあられ」
初めて小麦粉でつくられた「かっぱあられ」。これがかっぱえびせんの前身となる。
松尾は、カルビー製品がそれと一目でわかる「目印」が欲しかったのである。こうして誕生したのが、「かっぱあられ]」シリーズであり、話を先取りすれは、究極のかっぱあられとして登場し、大ヒットしたのが、「かっぱえびせん」なのだ。
話を戻そう。かっぱあられで順調に業績をのばしはじめたあるとき、松尾が思いついたのは、目の前の瀬戸内海で漁師の網にかかるが、そのまま捨てられていた小さなエビを利用できないか、ということだった。
これには、松尾の幼児体験が関係している。彼の小さな頃の特技は川エビとりであり、それを祖母にかき揚げにしてもらうのが常だった。広島の海辺で見た小エビを干す光景がから、そのときのおいしかった記憶が蘇ってきたのだろう。かっぱあられに、エビを入れることを思いついたのだった。
こうしてみると、小麦粉から煎餅をつくるというアイディアは、じつに秀逸である。最初に小麦粉を練り込む段階で、さまざまな工夫ができる。松尾は、ボイルしたエビを入れてみたり、乾燥させ、粉末にしてから入れてみたりと、試作を繰り返した。
その結果、たどりついたのが、生のまま、丸ごとエビをミンチにして加える現在の製法である。殻を丸ごと入れるから、風味が豊かなだけでなく、松尾がこだわるカルシウム入りのおやつができた。
発売は東海道新幹線が開通し、東京オリンピックが開催されたのと同じ昭和39年(1964年)。以後の快進撃は周知の通りである。
なんといっても、その存在を決定的にしたのは、「やめられない、とまらない!」というCMソングだったと思うが、これは「広告代理店の方が作詞した」ものだそうだ。
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「冷凍技術が進歩してからは、世界中を探しています」と北村が言うのは、もちろんエビの話である。かっぱえびせんが使っているのは、クルマエビ科のアカエビ、キシエビ、サルエビ、タラバエビ科のホッコクアカエビ(通称甘エビ)などだ。いずれも体長5‐7cmの小型のエビで、甘エビ以外は、意識して食べた記憶はほとんどないだろう。
「もちろん最初は、瀬戸内海で獲れたものを使っていましたが、最近では中国、ニューファンドランド近海、グリーンランド近海などからも輸入しています」
と北村。てっきり安定供給のために、養殖しているに違いないと思っていたのだが、「すべて天然もの」なのだそうだ。
エビといってもいろいろある。ボイルして寿司ネタになるくらいの大きさのエビ(クルマエビや大正エビ、ブラックタイガーなど)は引く手あまただが、小型のエビにはあまり需要がない。もともと、松尾がかっぱあられにエビを入れることを思いついたのは、自身の幼児体験もあるが、これら小型のエビが不幸な運命をたどっていたからである。→
1964 年に発売された「かっぱえびせん」
1964 年に発売された「かっぱえびせん」。甘くないスナック菓子か流行ったのも、これが初めてかもしれない。
焙煎
蒸しながら練った生地をカッターにかけたあと、焙煎したところ。これで90%完了。あとは味つけと袋詰めのみ。ここまでが3日がかりの作業である。
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コラム
カルシウムとビタミンB1
カルシウムは骨に関係するのみではなく、自律神経系統の精神安定剤であり、また、ビタミンB1の脳内ストックを支える必須の物質だ。この両方をあわせて摂取することが重要だが、もちろん食糧難に悩む戦後すぐの日本人には困難なことだった。もっとも、カルシウムは現代日本人も相変わらず不足していると言われている。
食糧管理法
日本人の主食である米だが、第二次世界大戦中、および戦後は米、麦をはじめとして、あらゆる穀類が統制品となっていた。終戦後も6年間は、米が統制され、一般家庭は配給米しか手に入れられなかった。この「食料難」の時代を脱したのは、統制が撤廃され、日米講話条約を結んだ昭和26年(1951年)のことである。この年から学校給食も始まった。この時期、米に比べると、小麦粉は進駐軍(戦後すぐ、日本を占領したアメリカ軍のこと)から申請により払い下げられたので、比較的入手しやすかった。
川エビ
ミナミヌマエビ、ヤマトヌマエビなど淡水に住む小型のエビ。
かっぱえびせんとカルシウム
かっぱえびせん1袋(100g)は120mgのカルシウムを含む。カルシウムの摂取目安量は1日あたり、40歳の大人で600mg、8歳の子供で700mgと言われている(日本人の食事摂取基準より)。
かっぱえびせんの塩
これは一般論であるが、最後に塩を振りかけるのは、最も全体の塩分量を減らすいい方法である。生地に練りこんで塩味をつけるより、使用量ははるかに少なくて済む(ただし味ではなく、製法上の目的で、かっぱえびせんは生地の段階でも塩を使っている)。
エビのブレンド
「エビの種類と分量によって味は多少変わる」という。そうでなくても、自然が相手だ。主原料の小麦も含め、旬の時期かそうでないかで、味が変わる。それを平均化し、味わいを一定に保つのがブレンドだ。
1才からのかっぱえびせん
2003年に地域限定で発売し、2004年に全国発売した。オイルを使わず、塩分量を半分にしている。
エビマヨ味
2004年9月発売。
食べきりのミニサイズ
14グラムのかっぱえびせんが4つ連なっている。「やめられない、とまらない!」からこそ、自制のきく小袋パッケージが必要なのだ。
ミニサイズ
 
北村恵美子さん
発売40周年を記念して作られた『かっぱえびせん大百科』を手に説明する北村恵美子さん。
最初に手をつけたのは、お団子だったという。食料難の時代に、求められたのは空腹を満たすものだった。混乱がすこし落ち着いた4年後の昭和24年には、キャラメルを発売。「子供の喜ぶものを作りたい」という松尾の気持ちがよく顕れている。
この頃から使い始めた「カルビー」という商標にも、その気持ちが込められている。「日本人に不足している栄養素は、カルシウムとビタミンB1だ」という話を聞いて、カルビーという名称を思いついたのだ。おいしくて、子供が喜ぶだけではない。空腹を満たし、不足している栄養素を補うような食べ物を作りたい——それが松尾の願いであった。
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そうはいっても、主食の米をはじめとして、あらゆる穀類が食糧管理法の下にあった時代だ。戦後の混乱の中で、日本中が飢えていた。いくら松尾が製品を作りたくても、原料が手に入らない。ちょうどこの頃、日本政府は小麦粉とデンプンを混ぜて粒状にした人造米を開発していた。松尾は、「米も麦も組成は似たようなもの。この人造米の技術で、あられができるんじゃないか」と考えたのである。小麦粉なら、米よりも、格段に手に入れやすい。これを米の代わりに使って、何か作れないか、と思いついたのである。たどりついたのは、小麦粉を練り上げてミンチのように押し出して切断。それを乾燥させて作った「あられ」だった。
初めて誕生した小麦粉を原料とする「あられ」が、かっぱえびせんのルーツなのである。これはいまなお、かっぱえびせんを特徴づける。えびせんの「せん」は、煎餅の煎だが、じつは米ではなく、小麦粉からつくられているのだ。
昭和30年(1955年)、松尾は社名を松尾糧食工業所株式会社から、カルビー製菓株式会社に変更。さらに『週刊朝日』に「かっぱ天国」を連載していたマンガ家の清水崑を口説き、かっぱを製品キャラクターとする利用許諾をとり、描きおろしてもらった。←
松尾孝氏
カルビーの創業者で、かっぱえびせんの開発者でもある松尾孝氏(元カルビー名誉会長)。
エビ
[1]アカエビ [2]キシエビ [3]ホッコクアカエビ [4]サルエビ
魚を獲るときに一緒に網に入ってくるものの、たいして需要がないから、下手をすると捨てられていた。世界に目を向けても、話は同じ。だから養殖せずとも、天然ものが手に入る。かっぱえびせんは、その最初から今日にいたるまで、いわば見向きもされなかった小型のエビたちを上手に活用している製品でもある。
カルビーの工場では、こうして調達したエビをよく洗浄し(もちろん機械化されている)、小麦粉と水などを混ぜ合わせ、蒸気で蒸しながらこねて、小麦のモチ生地に仕上げる。
「それをローラーで圧延し、カッターで成形してから、カリカリに焙煎するのです」
あとは調味料としてをふり、口当たりをよくするために油をふって仕上がりである。
エビのブレンドも含め、入れ方の工夫などはいまも続けていますし、技術の進歩とともにいろいろと改良されている面もありますが、基本的に松尾会長が考案した作り方を踏襲しています」
という北村の言葉は、松尾がうどん職人などにもヒヤリングして研究を続けた小麦粉加工技術の完成度の高さの証明でもある。
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この作り方でわかるように、かっぱえびせんは、カルビーの社名が示す松尾の心意気がこめられた製品である。ノンフライだし、小麦粉を膨らませているので、サクサクという食感のわりに、口どけがよく、ノドにひっかかったりしない。消化がよく、カルシウムを含み、いろいろな意味で安全なスナック菓子だ。
「それでも、かっぱえびせんについている塩を振り払ってから、子供に与えているお母さんを見て、私の先輩が思いついたのがこれです」
といって北村が見せてくれたのが、「1才からのかっぱえびせん」(2004年全国発売)だ。最後に振りかけるオイルをやめ、塩を減らした。
「これなら、お母さんが安心してお子さんに食べさせられます。口でとけるかっぱえびせんなら、ノドに詰まらせる心配も少ないと思います」
という北村が驚いたのは、「病院からファンレターが届いたこと」だという。病院食にうんざりしていたところに、食べることを許可されたのがかっぱえびせんだったり、咀嚼と飲み込みの不自由なお子さんでも、不自由なく召し上がっていただけて、親御さんが大喜びだったり……このスナック菓子は、随所で日本人に生きる希望を与えていると言っても過言ではない。
「このほか、ニーズの変化にこたえて、食べきりのミニサイズを作ったり、エビマヨ味などのバリエーションをつけたりしています」
という北村が気にしているのは、万人に愛されるスナック菓子とすることである。たとえば、我々大人は、かっぱえびせん=ビールのおつまみ、という認識をもっているが、カルビーはあえてそのことをPRしていない。子供に食べてほしいのに、「大人の食べ物」という雰囲気が出てしまうからだ。
他の製品に比べ、かっぱえびせんが特別難しかったりする点はありますか、という質問に、「ポテトチップスは、ジャガイモからチップスとなって袋詰めされるのに20分しかかかりませんが、エビと小麦粉からかっぱえびせんになるまで、3日もかかります」という返答がきた。生地の水分が多かったとしても、そのことが判明するのが1日後だったり、2日後だったりするから、フィードバックが難しいのだ。
しかし、それ以上に、北村の置かれた立場が難しいのだ。攻めるのはたやすく、守るのは難しいというのが、世の中の道理だ。すでに北村自身が、親子2代にわたってのかっぱえびせんファン。自分が生まれるはるか以前に誕生し、ロングセラーを続けるかっぱえびせんというブランドを守り続け、磨きあげていかなくてはならない。
「留意しているのは、『安心』です」
と北村。彼女が気にしているのは、かっぱえびせんが、ありとあらゆる面で「安心感」を与えるスナックであり続けることである。
食べて安心であることはもちろん、子供や病人に与えても安心、お客様に出しても嫌われる心配がなくて安心、というブランドであり続けたい、というのだ。彼女のようなファンが自ら担当しているかぎり、かっぱえびせんは創業者の味と心を守るロングセラーであり続けることだろう。
歴代かっぱえびせん

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変わった食べ方
北村さんに、「かっぱえびせんの変わった、おいしい食べ方はありませんか」と訊いてみました。「砕いて天カスや干エビの代わりにお好み焼きやもんじゃ焼きに入れたりするのはどうでしょう」とのことです。


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裏話は編集ぶろぐへ

(文・古瀬幸広/写真・園田昭彦/商品写真はカルビー提供)