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Project B/5月 vol.6「B食を支える男」
包丁作り70余年「マサヒロ」世界に自慢できる、日本の切れ味/Guest:加藤 勲さん 株式会社マサヒロ 製造部顧問
岐阜県関市——ここは、ドイツのゾーリンゲンと並ぶほどの歴史を誇る「刃物のまち」だ。戦国時代には、全国の刀鍛冶がここに集まり、多くの名刀(日本刀)を生み出した。日本刀は、世界の刃物の水準を越えるすぐれた品として知られ、中国をはじめ、諸外国に輸出された。
なぜ関に、刀鍛冶が集まったのかについては、謎の部分が多い。このあたりを本拠にし、壬申の乱で大海人皇子に味方した豪族・身毛津(むげつ)氏が製鉄技術をもっていたことと関係がありそうだが、定かではない。ともかく、職人が集まるとそこは本場になる。中世ヨーロッパにおいて、宗教戦争を契機にジュネーブ(スイス)に時計職人がこぞって移り住み、現代の時計王国を築き上げたのと同様、関には戦国動乱の15世紀に全国から刀鍛冶が集まり、現代までつながる刃物文化をつくりあげたのである。
関の刃物文化の特徴は、技術水準が高いだけでなく、懐が深いことである。刀鍛冶は、政治に左右される。関が原の戦いを機に、天下太平の世が訪れ、日本刀への需要が落ち込むと、今度は農具や生活用品へと自分たちの技術を生かしていった。日本刀製作を通じて得られた金属の知識と技術を生かして、使いやすい鍬や鋤、それに包丁をはじめとする生活用品をつくりはじめたのである。
さらに、帯刀さえも禁じられた明治時代には、カミソリ(剃刀)やナイフの製造にも活路を見いだした。featherやKaiは、世界に通じる関市の地場産業ブランドである。アメリカの警察で制式採用されているポケットナイフも、関市でつくられているほどだ。→
鋼材と打ち抜いた残り
マサヒロで行われているさまざまな工程の一部。(左上)鋼材は包丁の形に打ち抜かれる (右上)打ち抜かれた包丁。まだぜんぜん切れない (左中)目で歪みを確かめ、カナヅチで矯正していく (右中)包丁のハラに、ハマグリ貝のような丸みを帯びさせる。この丸みが大切 (左下)3回目の歪みの矯正 (右下)刃付けの最後は、鹿の皮でめくって仕上げる
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鉄は鋼に変わる
包丁の「性能」を決める要素はいくつもある。
「ブリキに刃をつけただけでも、トマトは切れるんだけれど、スパッと切れるのは最初の一回だけ。それを包丁とは呼べませんよね」
という加藤さんのこだわりは、切れ味が長くもつことだ。新品のうち、あるいは研いだ直後は、切れるのが当たり前。すぐに切れ味が鈍ってしまうようでは、包丁たる資格をもたないのである。なぜなら、アマ、プロを問わず、毎日使うものだからだ。
これほど、使用頻度の高い道具は、そう多くはない。ハサミだってカッターナイフだって、包丁の使用頻度にはかなわない。しかも、切る相手が多様だ。柔らかい菜っぱも、硬い骨も切る。カニの甲やタイの骨と格闘することもある。最近ではカチカチに凍ったものさえ、切る。それでも切れ味がすぐには鈍らないものこそ、本物の包丁なのである。
その一方で、扱いやすさも気になる。手にしたときのバランスも重要だし、家庭用なら、メンテナンスの容易さも重要だ。プロの料理人が使うハガネの包丁は切れ味も鋭く、道具としての出来はいいが、丁寧に扱わないとすぐに錆びるし、日頃から十分にメンテナンスしないと切れ味が早く鈍るから、家庭では扱いにくい。
加藤さんらマサヒロの面々は、だから材料から工夫を重ねてきた。昔ながらのハガネの包丁だけでなく、錆びにくいステンレスを使った包丁を開発してきたのである。
ただ、このステンレスが、厄介な相手だった。
「市場では家庭用を中心に、8対2でステンレスが主流になっています。ステンレスの良さは錆びにくいこと。しかし、切れ味の面では、ハガネに劣ります。戦後、ステンレスの包丁が出回り始めた頃は、『錆びない、でも切れない』と言われたものです」
ハガネの包丁は、日本刀の技術をそのまま生かしたもので、抜群の切れ味を誇る。「たとえダイヤモンドで包丁を作っても、ハガネの包丁にはかなわない」のだそうだ。ちなみにハガネとは、科学的には鉄と炭素の合金のことである(炭素以外にも、ケイ素、マンガン、リン、イオウが含まれる)。正確には、炭素含有量が0.035%‐1.7%のものをハガネと呼び、それ以下のものは純鉄、それ以上のものは銑鉄(せんてつ)という。
鉄器の時代から、人類は鉄と向き合ってきた。その中で、「焼き入れをすると炭素の力で強く締まり、硬くなる鉄」があることを経験的に見いだし、使いこなしてきた。日本刀の鍛練(製造)方法は、そのひとつの究極の姿である。その上、近代に入ってから、鉄については科学的研究が進み、その取り扱いノウハウが充実している。
ステンレスは、勝手が違った。20世紀初めに鉄にクロムとニッケルを配合してつくられた合金であるステンレスは、錆びにくいことが特徴だが、なにしろ歴史が新しい。この新しい合金を生かし、切れ続ける刃物に仕上げるノウハウがどこにもないのである。
この難題に対して、加藤さんらマサヒロの面々は、二つの方法で迫った。一つはステンレス包丁の構造を工夫すること。もう一つは、ステンレスそのものの材質を改良することだ。→
MV−S
全体に焼を入れ、手で刃付けをした「正広作 MV-S 三徳型」(1万500円)。ハイカーボンステンレス鋼を使用したハンドル一体型の高級包丁。
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日本の包丁
打ち抜きから焼き入れ、研磨、合計三度に及ぶ歪みの補正にいたるまで、レベルの高い「職人の仕事」が続いて初めて、1本の包丁が最後の仕上げに入ることができる。刃付けだ。
刃付けとは包丁を作る最後の工程で、先を研いで、鋭い刃を誕生させることをいう。
「刃付けがしやすい仕上がりというのは、なんとも大切なことだね」
という加藤さん。それぞれの段階で、それぞれの職人が、ベストな仕事をした結果が、刃付けのしやすさだからだ。
「チョモランマの頂上に登るのは一人か、せいぜい二人ですが、その裏には、シェルパをはじめ、登山を支えた100人くらいの人々がいる。包丁づくりも同じです。刃付けがしやすいと、途中でかかわったすべての人々に感謝したくなります」
どこかひとつの工程で手抜きがあると、刃付けすることができず、その包丁は不良品として捨てられてしまう。マサヒロでは、刃付け作業は機械と職人の両方でやっている。もちろん高級品は職人の手作業だ。
「今の日本の包丁は用途に合わせて適切な刃付けをしているので、研ぎなおす必要というのは買った時点で99.99%ありません。ごくまれにこだわりのある人が、自分の角度に合わせて研ぎなおすこともありますけれど」
と加藤さん。刃付けがいい包丁は、すべての工程に職人の誇りが詰まった包丁であり、それこそが、いい包丁なのである。ここでいう「刃付けがいい」というのは、「よく切れる」という意味ではない。よく切れて、その切れ味が長続きする、ということである。
「どんな包丁でも、今使っているものより、買ったばかりの新品のほうが切れるのです。100円の包丁も、プロが研げばよく切れるでしょう。ただし、長続きしないのです」
切れ味を試すには、熟したトマトが一番だそうだ。どんな包丁でも研ぎたては、トマトをつぶさずにサーッと切ることができる。でも、それだけでは、包丁のよしあしはわからない。使い続けたときにどうなるかが、問題なのだ。
「切れ味は、材質の良し悪しと焼入れで大きく変わるわけですが、きれいに仕上げちゃうと、外見からは見分けは付かない。それがわかるようになると、うちとしてはありがたいんですが(笑)」
というのは、「本物」にこだわり、「本物」を作り続けているのに、そのことが社会に伝わらないもどかしさからの発言だろう。
「やはり価格で判断していただくほかないでしょうね。『どうしてこの包丁は高いの?』と思われるかもしれませんが、それだけの理由があるのです」
家庭で使うのならば、3000円から5000円の購入価格のものでいいだろう、という。
「下手をすると100円ショップにも包丁は並びますが、コーヒーを10杯我慢して包丁を買っていただければ、10年使える包丁が買えます」→


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日本の包丁
和食店に入ると、本当にさまざまな包丁があることに驚く。切れ味の工夫だけではない。目的にあわせて、包丁文化はそのデザインも変えてきた。包丁は大きく、和包丁と洋包丁に分けられる。家庭でもその両方を使うところが、和洋折衷の日本文化らしい。
和包丁の代表は出刃包丁、刺身包丁、菜切り包丁だ。出刃包丁は叩き切り用で、魚をさばくのに適している。刺身包丁は引き切り用で、ていねいに柵から刺身を切るために、刀身が長くできている。繊維を傷つけずに、刺身を引くことが可能だ。
菜切り包丁は押し切り用で、刃先が繊細で、キャベツなどの菜っぱを切るのに適している。
洋包丁には、牛刀、三得、パン切りナイフ、ペティナイフなどがある。いずれも引き切り、押し切り両用で、三得包丁は洋包丁に分類されるが、日本人がつくり出した万能選手。菜っぱも、魚も、肉も切れる(これを三得と呼んでいる)包丁である。
「いまや一般の8割が三得包丁を使っている。三得とペティナイフ(果物ナイフ)があれば足りるといってもいい。自炊を始める方、いや、結婚をする予定の方でも、この2本を揃えるといいでしょう。厚さは、1.8mmから2mmが一般的です」
調査によると、家庭の包丁の数は平均して4‐5本だが、いつも使われているのは「おそらく2本」だという。しかし、包丁を長持ちさせ、ラクに食材を切り、臭いうつりを避けるためにも、用途ごとに使い分けるのが好ましい。
「理想を言えば、牛刀、刺身、菜切り、出刃、冷凍、ペティ、パン切りを揃えるべきだが、現実には難しいでしょう。そこで、三得、ペティ、冷凍、出刃の4本を揃えることを勧めます。冷凍と出刃をきちんと使うことが重要です。そうすると、5000円ぐらいの包丁ならば、間違いなく15年間は使えます」
包丁の寿命は、刃が折れた瞬間に終わる。しかしそれは、その包丁が「本物」であれば、「使う人間の責任」だという。
「刃が折れるとすれば、それは使用方法を間違えているのです。冷凍食品が出た頃、刃が欠けたと言って三得包丁の返品が本当に多かった。とても残念に思いました。三得包丁はあらゆるものに使えるイメージがありますが、じつは冷凍物を切るようには刃付けしていないんです」
と加藤さん。刃が欠けたら素人では砥げないので、修理に出すか買い直すしかない。→


コラム
関市
岐阜市の東側に隣接(昭和25年に市制施行)。2005年2月には、武儀郡(むぎぐん)の5町村も合併し、人口およそ9万5000人となった。市内に50以上の刃物製造の会社がある。780年前から続いた刀鍛冶業は、明治9年の廃刀令をきっかけに生活刃物に転向。現在は、ポケットナイフ、カトラリー、カミソリ、包丁などを製造。包丁生産シェアは全国の6割を占める。関では年に2回、刃物祭りが開かれている。
http://www.city.seki.gifu.jp/
加藤 勲
かとう・いさむ
株式会社マサヒロ 製造部顧問。マサヒロで包丁を作る仕事を1964年から行っている。64歳。
http://www.masahiro-hamono.com/
カミソリ
安全カミソリはキング・キャンプ・ジレット(Gillette, King Camp. 1855-1932)が開発したものだが、これが普及したのは第一次世界大戦からである。アメリカ政府がジレット社から360万個の安全カミソリセットと10万個の替え刃を買い上げ、従軍兵士たちに配給したのだった。男が、自分でヒゲを剃る習慣がひろまったのは、ここからである。
焼入れで硬くなる鋼
焼入れで硬くなる鋼
鋼の温度を上げると、炭素は鉄に溶け込むが、やがて炭化物として排出されようとする。そこで一気に冷やしてやると、出ようとする炭素の大きな力を鉄の中に封じ込めることになり、鋼が硬くなる。
ステンレス
鉄にクロムやニッケルを加えた合金鋼で、表面を酸化被膜が覆うため、錆びにくい特質をもつ(錆びないわけではない)。20世紀初期、フランスのギレー、ドイツのモンナルツ、ボルシャーらにより開発された。
包丁の研ぎ方包丁の研ぎ方
マサヒロでは、研ぎ方を包丁ケースに記している。「思った以上に刃を立てて研ぐといい」と加藤さんは話す。
「研いでも切れないという方は、刃を寝かしすぎです。やりやすい方向に何度もこすって、反対側を指でスッとなでる。ピピッと引っかかるところ(刃返り)が出来ていたら、そこをスーッと砥石で1回撫でれば終わりです」
と簡単な研ぎ方のアドバイスをしてくれた。初心者には600番の砥石がおすすめだ。
包丁の贈り物
道路や建物の開通式でのテープカット、船の進水式での斧、ウェディングケーキへの入刀など、刃物は門出を祝福する場所で使用されている。それゆえ、結婚式のお祝いに包丁を送ってもよい。
ディンプル加工包丁
ディンプル加工包丁刃身(ボディ)に窪みを付けた包丁。でこぼこを付けることによって食材の切り離れを良くすることを狙っている。「穴はプレスで開けるので、高カーボン材質の包丁だと割れやすい。そのためにうちは、窪みにした」と加藤さん。つまり、きれいに穴のあいているステンレス包丁は、それだけで素材がどのようなものかわかるということだ。
穴開きにくらべて研ぎやすく、長くもつのもディンプル加工の特徴だ。30年ほど前から“サーモン”と呼ばれて存在していたが、これまでは家庭用としては高価すぎるので、市販されていなかった。コストダウンが進み、家庭用が登場したのは、一般消費者にとってうれしいことである。
MS-V包丁
MS−V包丁柄まですべてステンレス製のマサヒロの包丁。柄と身の間が汚れないように、衛生を考慮して開発された。マサヒロでは、柄の中で刃身と柄を溶接し、安全性を高めている。
子供包丁
子供包丁「包丁は幼稚園年長組くらいから使わせて欲しい」と、マサヒロは子供包丁をつくっている。幼稚園・保育園から小学校高学年の児童に向けて、りす、うさぎ、クマのシリーズが作られている。子供向けの工夫は、切先とあご(刃の先端と末端部分)に刃を付けないで安全性を高めていることだ。
包丁を長く使う
まな板も包丁に影響を及ぼす。プラスティック製のまな板は硬いため刃先を傷めやすく、木のまな板のほうが包丁にはやさしい。また、切った食材を集めるために包丁でまな板をサーッと撫でるのは厳禁。「100回切った以上に刃を傷める」という。
加藤勲さん
加藤勲さん
加藤勲さんは、この地で一貫して包丁づくりに邁進してきた職人の一人だ。彼がつくった包丁は、「正広」「Masahiro」「MSC」といったブランドで、アマにもプロにも使われているし、輸出もされている。川原のバーベキューで、切れ味の鈍った包丁を手にとり、川石で研ぎあげて感謝されたという伝説をもつ人でもある(この話は、日本の料理人の世界では有名な逸話として語られている)。
いまから41年前、彼が勤務先に選んだ株式会社マサヒロは、1932年の創業。いまは年間の生産高がおよそ50万丁にものぼる包丁のトップメーカーだ。
「分業化が進み、多くの下請けを使うピラミッド構造化しているいまの関で、鋼材の開発から箱詰めにいたるまで、ほとんどすべてを1社で行っているのは、うちだけです」
という加藤さんの口調は穏やかで、饒舌とは無縁の話ぶりだが、こと包丁のこととなると、即座に答えが返ってくる。「外に出しているのは、柄付けやハラ(包丁の平らな面)の商標マーキングくらい」だという。
お会いしてすぐ、包丁の工場を見学させてもらったが、50人ほどの職人が椅子に座り(一部は立ち)、それぞれの仕事に向き合っていた。
「ごく一部、機械化された部分もあるけれど、基本的に包丁づくりは職人の熟練の技を必要とする手作業で成り立っています」
というので、びっくり。マサヒロの包丁は、その1本1本に、職人の魂がこめられている。
「それでも、昔に比べると、随分変わった部分があります。鍛造(たんぞう)ではなくなったことです」
日本刀製作の様子を、何かで見たことはないだろうか。まだ真っ赤に燃えさかる鋼(ハガネ)を、二人がかりで叩いて鍛え、延ばして形にしていく。これが鍛造という手法である。
「戦前の家庭で使われていた包丁は菜切り包丁のみで、鍛冶屋が1人か2人で鍛錬して作っていた。私の入った頃のマサヒロもそういう会社で、まだ“正広鍛工”という社名でした」
という。日本刀の製造技術が、そのまま包丁つくりに生かされていたわけだ。
「いまは、打ち抜きという手法で作っています。材料をプレス機で包丁の形に抜いてから、仕上げていくのです」
こうして作られる包丁を「打ち抜き包丁」という。加藤さんの職人としての歩みは、打ち抜きという手法で製造の合理化を果たしつつ、鍛造包丁より優れたものをつくりあげる創意工夫の歴史であったといっても過言ではない。
なかでも重要な工程、つまり工夫のしがいのある工程は、焼き入れである。打ち抜いた包丁にそのまま刃をつけるわけではない。焼き入れをして、鉄の中に含む炭素の力で、包丁を硬くするのだ。
「焼入れは、鉛を溶かした1000℃前後の炉の中に包丁を入れる作業です。炭素を多く含む鉄ほど、焼きを入れたときに硬くなる。硬くなるということは、よく切れ、そしてその切れ味が持続する良い包丁になるということです。でも、ほんのわずかな加熱温度の違いや冷却液の違いで、結果ががらりと変わる、とても繊細な作業です」
という。だから機械化できないのである。加藤さんにとっても、「最も思い出に残る作業は、焼き入れ」だという。
「オイルまみれになって手を血だらけにしてやったからね(笑)。箸で真っ赤な包丁を常に持っていなくてはいけないから、1日で手が豆だらけになってしまう。つぶれちゃって血がでるけど、それでもやらなきゃいけないんだよ……大事な作業だもの」←
焼入れ
1000℃の炉に包丁を入れる「焼入れ」。隣には、焼いた包丁を冷やすためのオイルが置かれ、あたりは油っぽい空気につつまれている。冷却といってもオイルの温度は100℃近くある。
加藤さんが「箸」と呼ぶ金具で焼きをいれた包丁を手にし、タイミングを見計らって冷却液につける。とても繊細な勘が要求される作業だ。
「構造の工夫とは、割り込みです。ハガネは切れるが、錆びやすい。ステンレスで切れ味を出すのは難しいが、錆びとは無縁。そこで、ハガネをステンレスで挟み込むのです。こうしてやると、研いだ刃先だけはハガネなのでよく切れるし、刃身はステンレスなので錆びない包丁になる」
専門用語では、クラッド材という。この包丁は、ハガネを両側からサンドイッチする構造なので、三層のクラッド材となっている。
聞けばなるほど、という話だ。しかし、落し穴も待っている。真ん中のハガネと両脇のステンレスでは、含有する炭素量が違うのだが、包丁に焼き入れを行う際、炭素が含有量の小さいほう(ステンレス側)に移動してしまう現象が起きる。このため、必ずしも仕上がりが予想通りにならない。こうした現象を防ぐサンドイッチ法の開発こそが、包丁メーカーのノウハウなのである。
「一方、ステンレスそのものの改良とは、単純に言えば、ステンレスにハガネの要素を入れて、切れるステンレスにしていった、ということです」
と加藤さん。こともなげに言うのだが、教科書のない世界で、正解にたどりつくのは難しい。試行錯誤の繰り返しであったことは容易に想像がつく。
「ハガネの要素を入れる」とは、ステンレスに炭素を混ぜていくということである(ハイカーボン化)。炭素が多くなれば、どんどんその性質はハガネに近づいていくが、入れすぎると、硬くなりすぎ、今度はもろくなる。刃をつけにくい上に、つけてもすぐに欠ける包丁になってしまうのだ。
刃物の可能性を拓く新しい素材としてステンレスに目をつけ、「ハイカーボン化しよう」と決意したのは、マサヒロの服部昇社長だった。昭和33年、服部さんは私財を投げうって、賭けに出る。大同特殊鋼の錦織清治工学博士を頼り、自らステンレスの改良に取り組んだのだ。途中、伊勢湾台風で大同特殊鋼の研究所が水没し、半年間も研究が中断するというアクシデントにもめげず、成果をあげたのは、4年後の昭和37年のことだった。
この年、マサヒロが発売したハイカーボンステンレス包丁は、「切れるステンレス」として大ヒット。一斉を風靡し、会社を急成長させただけでなく、Seki(関)の名を世界に轟かせる原動力ともなった。ハイカーボンステンレス鋼を使った素晴らしい出来ばえの「関の刃物」が、世界で認められ、輸出されるようになったからである。
マサヒロが開発したステンレス鋼は、いまでは「マルテンサイト系」と区分されているステンレスである。このステンレスは炭素を0.6‐1.0%、クロムを12‐16%含む。←
刃付け
包丁の刃を立てて研ぐ(写真は刃付けの作業)。
MSC包丁
3ヶ月に一度、砥石で刃を研げば、包丁は10年以上は使える。
マサヒロの包丁は、購入後半年は手入れ不要で切れるという。「その後は3カ月に一度は研ぐようにしてもらいたい」と加藤さんは話す。ノーメンテナンスで使い続けてしまうと、刃を付けなおすほかなく、大変な作業になってしまうからだ。
「今は砥石が良くなっているので、ステンレス包丁も研ぐことができます。研ぎ師に出すよりも、研ぎ方を覚えて自分で研ぐのが一番です。常に研いでいれば、研ぎ直すのも簡単ですからね」
砥石は2000円ほどのもので十分。それでも10年、20年と使うことができ、包丁1丁分の仕事をする。
「研ぎ方は包丁の箱の裏に記載してあります。初めて研ぐのであれば、600番ぐらいの砥石を購入して、研ぎやすい方法で研げばいい。三得包丁は両刃ですが、最初はやりやすい面を研ぐだけでも構いません。よく『下手くそが研ぐと、さらに切れなくなるだけ』といいますが、砥石の上で撫でている以上は、そんなことはあり得ません(笑)。また、砥石で刃こぼれは起きません」
簡易砥石(刃を溝に垂直に入れて研ぐタイプ)は、ひねって横に力を入れると刃が欠ける可能性がある。薄い刃は、横からの力に非常に弱いからだ。
「簡易砥石は、普通の砥石でのメンテナンスに組み合わせて使うべきものです。3カ月に一度は砥石で研ぐ。そして、ちょっと切れ味が落ちたときに簡易砥石を使う、という使い方です。また、『アルミ箔やお茶碗の裏でも包丁は研げる』と言いますが、それはやわらかい材質の包丁に限ります。うちのは炭素をたくさん入れて硬くしていますから、そういうもので研ぐのは難しい」
プロの料理人でも、「毎日研ぐ必要はない」そうだ。1週間に1度程度でいい。「たった1日で切れ味が落ちることはない」というのが、日本の包丁の素晴らしいところである。
「ドイツなどヨーロッパの包丁は上手に仕上げていますね。素晴らしい技術です。しかし、食生活の関係か、どちらかというと引きちぎるような感じ。切れ味は日本の包丁の方が数段いい。『すぐに切れなくなっちゃった!』という、日本の安物の包丁と同レベルの材質です。やわらかいんですね」
海外のシェフが、調理の前にスチール棒でシャッシャッと包丁を研ぐのは、日本人にしてみれば、驚くほど安い材料で作られた包丁を使っているからだそうだ。1回ごとに砥がないと、きちんと切れないのである。マサヒロでは製品の5%を海外に輸出している。輸出先は、ヨーロッパ、アメリカ、アジアなど世界中にわたる。
「海外へは、牛刀が一番多く出て行きます。あと三得包丁。これは世界でSANTOKUと呼ばれる、日本人が開発した何にでも対応できる包丁です」
万能包丁、文化包丁とも呼ばれるSANTOKUは、世界が欲しがる包丁なのである。←
正広作
鎬(しのぎ)のある和包丁。
「PL法(製造物責任法)が施行されたときが辛かった。菜切り包丁の刃付けを変更せざるを得なかったからです。菜切り包丁は刃先を薄く研いであり、菜っぱならさっと切れる反面、肉を切るのに使われると、骨に当たって刃が欠けたり、折れたりしやすい。野菜以外をこれで切ったら、刃は目減りします。中が半解凍の肉だったら、ポキッと欠けてしまう。今まで通りに刃を付けるとクレームになるので、PL法対策として、もう1ランク低い刃付けに変更しました」
菜切りは最高の刃付けが必要とされる包丁だ。マサヒロの素晴らしい伝統である見事な切れ味の刃付けは、菜切りで継がれていく。刃付けのランクを落としたことは「屈辱的だった」と言う。
「寂しかったけどしょうがないね。何もかも切れて初めていい包丁だなんていわれるけど、そんなの、できっこない。包丁の切れ味や持続性の飛躍的な改良というのは、今後まずないでしょうね」
ところで、包丁にはその国の食文化が現れている。
「和包丁は片刃で高い“鎬(しのぎ)”がある。これは魚からきているわけ。鎬を利用して、魚の骨と身を分ける。日本人が魚と野菜しか食べていなかった食生活の現われで、我々が普段食べていたものを和包丁が示している。一方、両刃の洋包丁は肉切りからきています」
包丁の形が食の歴史を語るのだ。さらに、国内でも地方ごとに包丁が違うそうだ。こういう話になると、加藤さんは嬉しそうに話す。
「牛や豚を解体するのに使う骨すき、菜切り、刺身は関東と関西で違うんだよね。うなぎ包丁は、関東、関西、京都、中部と分かれる。武士の関係で、切腹を嫌がった関東はうなぎを背開きにする。関西は商人の町だから、“腹を割って話す”ということで腹開き。京都はたたいたりもして。我々は中部だから、やはりこれが使いやすいね」
といって、小ぶりのうなぎ包丁を握った。同じ用途でも、文化の違いによって複数の種類が存在するところが、包丁の奥深いところであり、楽しいところだ。
やはり買うなら、加藤名人が血まめをつくったような「本物」を買いたい。しかし、見た目では、本物かどうかわからない。試しに切ってみても、その場ではやはりわからないところが、包丁の難点だ。
焼き入れひとつとってみても、いわゆる「安物」は刃先にしか入っていないことが多い。全体に焼きが入っていれば、研いで、研いで、研いで、研いだ結果、買ったときの半分以下の大きさになったとしても、切れ味が鈍ることなく使えるのだ。
余談だが、筆者はその実物を見たことがある。「駆け出しの修行時代から使っているから、もうこんなに小さくなったんですよ」と言って、あるシェフが見せてくれた包丁には、「正広作」という銘がしっかり刻まれていた。プロに愛される道具は、本物である。
牛刀
(左)上から、関西(大阪)、京都、中部、関東のうなぎ包丁。(右)牛刀も使用目的と地方によってさまざまだ。上から皮はぎ、頭取り、骨スキ(関西)、骨スキ(関東)。
(株)マサヒロ
マサヒロ本社
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西田さんのB食店
関は、うなぎ屋、すし屋、喫茶店が圧倒的に多いそう。中でもおいしいのはうなぎだ。関西風に、蒸さずに焼いた蒲焼が食べられる。人気は「しげ吉」ですと加藤さん。
*お店は編集ぶろぐで紹介


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裏話は編集ぶろぐへ

(文・古瀬幸広/写真・園田昭彦)