東海道を行き来する人たちの通り道だった蒲田は、江戸時代から栄える町である。1700年代には旅人に薬を売る店が多くでき、薬と一緒に酒を売る茶屋も出現した。やがてそれは、3000坪の敷地の「梅屋敷」と呼ばれ、将軍や皇族も立ち寄る場所となった(現在は公園になっている)。1920年、松竹キネマ蒲田撮影所が建設され、「流行は蒲田から」という言葉も生まれるほど蒲田は活気にあふれる。しかし、撮影所は1936年に大船に移転。その5年前には、海苔の養殖で栄えた羽田が埋め立てられて羽田空港が建設された。現在の大田区が作られていくのだが、近代まで蒲田は羽田、矢口、六郷の3つ町と一緒に蒲田区となっていた。1947年に蒲田区と大森区が合併して、現在の大田区が誕生した。 |