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2010年8月18日(水曜日)
   
 

石川理紀之助を語る上で、大事なエピソードがあります。

  農家だった理紀之助は、農業指導の手腕をかわれ、秋田県庁の職員として採用されています。

 明治の時代、農家が県庁の役人になることは、大変珍しい事だったそうです。

  しかし、役人の仕事に違和感を感じていたか、辞職願を出すこと30数回・・・・しかし、有能な理紀之助の事・・中々辞めさせてはくれませんでした。

 ようやく、受理され・・・再び農家に戻り、『山田村』と言う貧農地域の救済に当たることになります。

 理紀之助は自ら、朝3時にかけ板を叩き、村人を起こし農業に専念させました。

  やがて、山田村は人々の協力もあり借金を完済。

その名を一躍、世間に知らしめることになったようです。

 しかし、いつの世にも腐った人間はいるようで、理紀之助のやり方に疑念をもつ輩もいたようです。

  そこで、翁はたった一人で山に入り、貧しい小作人生活を始めます。

   毎日12時間の労働、残りを睡眠や食事、雑用・・・雑穀を食べ、副食は野菜という徹底ぶり3年余りの貧農生活で一定の成果をあげ、前田正名氏より『日本一の老農』として表彰を受けます。  

 

草木谷の住居は、盗賊に合い・・・一度消失しています。

 

↓復元された草木谷住居あとです。

 

  さて、研修も終わり・・・理紀之助翁の写真の前で・・・ランチタイムです。

 

  おもてなし、スペシャルメニューは、地元商工会女性部の方々が腕によりをかけてのものです。

 

 古代米のお結び・・・・自然の味があります。

 

すいとんです。 とっても優しいお味で。。

      お替わりする方、続出でしたね。

 

 潟上市名産、佃煮三種。。幸之助の好物でもあります。

 

  この後、試験に・・・試験の模様は、こちらのブログをご参照ください。

   

  理紀之助翁。

    今なお、秋田の有識者の間でも語り継がれる先覚者。

       貧農の救済、そして実践者、翁が残した数々の言葉・・・・

   58歳で、宮崎県の開墾事業を要請され、そして半年で立て直したのでした。

   その後、66歳で県の産米検査部長・・・

   68で秋田県仙北、強首村の立て直しにあたり、朝三時にかけ板を鳴らし・・・71歳の八月この救済事業を終了。

 そして、この年の九月・・・住まいである尚庵にて

    教えと言う、数々の無形の宝を世に残し・・・永眠。

     

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