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2014年8月18日(月曜日)
[ 13:30 ] [ 食に物申す! ]
   
先日、ある方のお招きで名のある料亭に行く機会がございました。仕事柄写真を撮ることをお許しいただき、個々の皿を撮影させていただいたのですが、煮物の器が運ばれて、テーブルに置かれた時に、おやっ!?と本能的に違和感を覚えました。それが、2枚の写真です。給仕した中居さんは右側のように器を置きました。なんだか落ち着かない。お気づきでしょうか?あしらいの青唐辛子が右下がりでダレてしまっています。器の模様も向こう2点で安定感がなく、料理の高さを出すために抑えにしているズッキーニが手前になってしまっています。つまり、裏正面の置き方になっているのです。料理を作る人であれば、本能的に料理の正面を理解できると思いますが、中居さんはあまりお料理が得意ではないようです。食材の質問にもしどろもどろになる場面が。格式ある料亭。接客応対も非常に丁寧ですばらしい。だか、料理人が丹精込めて作った料理、最後の最後で肝心のポイントを外してしまいました。中居さんが下がった後に、180度回転させた皿を撮影しましたが、プロの仕事と役割について改めて考えさせられました。普段何気なくこなしている自分の仕事も、もう一度見直してみないといけませんね。
2013年12月1日(日曜日)
[ 11:29 ] [ 食に物申す! ]
   
自分の好きなインスタントラーメンを2つあげよ!と言われたら、
明星チャルメラとマルちゃん正麺
明星チャルメラはスープが好き
マルちゃん正麺は麺が好き
で、その両者のいいとこどりしてみた。
結果は、なんだか違和感(笑)。
思ったほど美味しくない。
ですよね。
それぞれのメーカのR&Dの人たちが、しのぎを削って開発したのだから、いちばんベストな組み合わせで商品化されているのでしょう。それをわざわざ、こんなことして!と開発者の人は怒っているでしょうね。

でも、考察したところ、
マルちゃん正麺は麺はおいしいけれど、チャルメラの濃いスープには合わない。もっとまったりした味にフィットするように仕上げている気がします。一方マルちゃん正麺のスープでチャルメラ麺を食べると、意外に麺のおいしさを感じます。チャルメラの麺はスープが絡みやすいように仕上げられているのでしょう。

結果として導き出された答えは、Crossoverしちゃダメってこと!(笑)
2013年8月6日(火曜日)
[ 07:33 ] [ 食に物申す! ]
   
昨夜は中学時代の同級生と祐天寺で飲んだ。
なかなか腹を割っていろいろ話せる友は少ない。
彼もいま開業に向けて頑張っている。
なんとか力になってあげたい。

一緒に飲んでいた居酒屋のメニュー
ラフテーの串焼き
ラフテーは煮てそのまま食べるのがおいしい
わざわざ焼くこともあるまいと。
過ぎたるは及ばざるがごとし!
そんな話をしながら未来の計画を聴いた。
2012年6月19日(火曜日)
[ 18:16 ] [ 食に物申す! ]
   
私は、香りがある料理が好きです。
といっても、強烈な香りではなく、ほんのりと薫ったりするのが特に好きです。どんなに見栄えが良くても、香りのない料理は、私的には失格です。

香りって、思った以上に記憶に残るし、その香りをかいだだけで、その時の情景もよみがえります。

私の好きな店「石器料理いしかわ」も、香りのある料理を作ってくれるお店です。テーブルに素材を準備して、その場で作ってくれるので、温かくて香る料理なのです。

あらかじめ予約をしておきます。
すると、韓国製の大きな石鍋をガスにかけて来客を待っています。
この日は蒸し鍋です。

熱した石鍋に胡麻油をひいて、鶏肉や野菜を炒めます。
ここですでに良い香りが。

炒め終わると、魚醤の入ったスープをそそぎ、網をかけます。

沸騰してきたら、魚介や野菜をのせ蒸して特製たれをつけて食べます。蟹はたれをつけず、塩を振って食べます。

他の素材も、こんな感じです。

何種類かの蒸し物を食べたのち、しめにスープの効いた石鍋で麺を作ってくれます。ここに、使い込んだたれ、さらにおろしニンニク、リンゴの入った生姜のすりおろし、そして、決め手は「沙茶醤(サーチャージャン)」
この香りが、もっとも特徴的で大好きです。
麺を食べ終わっても、香りが残っています。
帰りの電車の中で息をしていても、鼻孔から「沙茶醤」の香りが心地よく抜けていきます。この料理の余韻、家に到着するまで続きます。
ああ、なんて幸せな料理なのだろう(笑)?
B食店情報
・店名 : 石器料理いしかわ(せっきりょうりいしかわ)
・ジャンル : 和食-その他
・住所 : 東京都新宿区西新宿1-13-8東京地所ビルB1
・TEL : 03-3344-6855
・URL : http://www.ishikawa-inc.jp/
・営業時間 : pm.4:00?pm.11:00(LO、pm.9:30)
・定休日 : 年中無休(年内は12月30日まで、新年は1月2日から
・最寄り駅 : JR新宿駅
・キーワード : 石器料理
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2009年7月5日(日曜日)
[ 13:22 ] [ 食に物申す! ]
   
用があって、また秋田に帰っておりました。
母がシラスを酒煎りしていた鍋、もう何十年使っているのだろうか?というような代物である。醤油を少したらして生卵を入れてかき混ぜる。シラスの卵とじのできあがり。炊き立てご飯にかけて、キュウリのつけものといっしょにガツガツとほおばる。何はなくとも、こんなシンプルな朝飯でけっこう満足してしまうものである。

食事が終って後片付けをしようと鍋を洗い始めた。クレンザーで磨くと、一部突起がある。ああ、なつかしい!と思わず思ってしまった。アルミの行平鍋に打ち込まれたリベットである。リベットとは、横から見るとT字型をしていて、釘のように尖った部分がなく、ネジのような切り込みもない。昔のアルミの鍋は、アルミニウムの質も悪く、比較的穴が空きやすかった。このようなときに、穴の部分にリベットを差し込んで、両側からハンマーでたたいて潰し、液体が漏れないように完全に塞いでしまうのである。小さい頃は、町に修理のおじさんがやってきて、穴のあいた鍋を持っていくと、その場でリベットを打って直してくれたものであるが、このような仕事も、時代とともに消え去ってしまった。
今の時代、穴のあいた鍋などすぐに捨ててしまう。それどころか、ちょっと焦がしても、洗ったり磨いたりが面倒で捨ててしまっている光景も見かける。このように、修理して磨いて、しぶとく使い続けられている鍋を見ると、妙にいとおしくなってしまう。今は道具に対する愛着のようなものが希薄になってしまったのだろうか?調理道具に限ったことではないが、エネルギーの消費量が少ないからと言って、まだ十分に走行できる車を廃車にして買い替えたり、立派に使える家電を買い替えたり。政府も減税したり、エコポイントと称して、消費を煽るような政策をしている。デパートなどでも、古い靴や背広を持ってくると、商品券に変えて、新しいものを買わせる動きがある。「下取り」と称しているが、その下取ったものは、大半が廃棄処分。

世の中おかしくないか?二酸化炭素の排出量がどうだとか、エネルギーの消費を少なくしようだとかいいながら、まだ、使えるものをどんどん捨ててゴミを増やしている。景気対策とエコ、二つの課題が同時進行しながら、現在のような矛盾を招いているのである。

しぶとく使い続けられる行平鍋。家が貧しくて新しい鍋が買えないわけではない。使えるものは、その機能が完全に失われるまで使ってあげよう。そんな気持ちを持つことが「エコ」なんじゃないの?
2009年6月15日(月曜日)
[ 13:23 ] [ 食に物申す! ]
   
前項で紹介した「さなぶり」。地元の女子中学生もお手伝いをして頑張っていました。

伝統行事であるけれど、子供たちが手伝いに参加することの意味を考えてみました。70名を超えるゲストのための配膳。お母さん達が一生懸命に作った料理をお膳の上に並べていきます。ある女の子がお膳の上に並べたときに、皿の配置や料理の中身を崩してしまいました。それを見ていた配膳指導の大人の女性が、「もう少し丁寧に置きなさい!」「心を込めた料理をお客様に美味しいと思っていただくためには、きちんと仕事しなくてはいけないのよ!」「もう一度やり直し!」

じっと見ていたひとむも、最初は、厳しいなあ!と思いましたが、女子中学生たちは、指示通り手直しをしていました。最近、こんな光景あまり見なくなったような気がします。
この会を主催している猪岡氏。「食育」という言葉がありますが、こうやって「食の行事」を通じて、大人が子供に指導する「躾」こそが、「食育」なのだと。

昔は、大人が中心の社会だった。大人の社会に子供が混じり、様々なことを学んでいった。叱られて覚えることもたくさんあった。しかし、今は「子供中心」の社会になってしまっている。子供を叱らない。大人も遠慮している。他人様の子供に文句でも言おうものなら、その親が烈火のごとく怒るモンスターに変身するご時世だから、うかつなこともいえない。

「食育」とは、ある種の「社会のゆがみ」を直すための教育なのでしょう。全国各地で「食育」のイベントはたくさんあると思いますが、このように「大人が遠慮なく叱り」「踏み込んだ教育」は、少ないのではないでしょうか?
本来は「親」の役割だと思うのですが。

猪岡さんの目指すもの、そしてその言葉に「食育の本質」を見たような気がします。
2009年4月16日(木曜日)
[ 16:31 ] [ 食に物申す! ]
   
「エコロジー幻想」青春出版社
芝浦工業大学(当時)武田邦彦教授が2001年5月に出版した本である。
昨今のエコカーとかグリーン家電とか、追加経済対策(選挙対策)として検討されているが、やはり、おかしいと思う。
使える車や家電を処分して、新しいものに買い換える。新しいものを作るために新たに資源とエネルギーを使い、古いものを処分するのに、同じく資源とエネルギーを使う。これがどうして「エコ」なわけ?企業の「エゴ」じゃないの?最大のエコは今あるものを大切に使う。これに尽きると思うのだが。「エコ」という名のもとに、国民が踊らされているような気がしてならない。

エコの車や家電は、、エネルギーの消費が少なくて済むかもしれない。それは「個別には正しい」。しかし、それを作った入り、古いものを廃棄したりするエネルギーは計算されていない。「全体的に正しい」のか?
我々が見ている「環境問題」は、まさに「木を見て森を見ず」。

食料も問題もしかり、自給率が低く海外に頼る日本。しかしながら、食べ残しも多く、大量のゴミを出している。それをリサイクルしようとして、ゴミを運び処理するためにエネルギーを使う。なんたる無駄!自給率を上げたければ、リサイクルする以前に「食べ残さない」努力をしたほうが、はるかに効率が良いと思うのだが。

このような事態が起きている背景には、日本人の得意な「本音と建前」が見え隠れする。

建前=地球温暖化から環境を守り、枯渇する資源を大切にする。
本音=今より生活レベルを落としたくない

「エコロジー幻想」が我々の心の中にわだかまっている。

武田邦彦教授が「環境問題のウソ」をズバッと切り込んでいる。

2009年1月11日(日曜日)
[ 06:42 ] [ 食に物申す! ]
   
全国至る所で「地産地消」を唱えて活動がなされている。農林水産省の「食料、農業及び農村に関する施策についての基本的な方針」によると、「地産地消の推進」として、「地域の農業者と消費者を結び付ける地産地消を、地域の主体的な取組として推進する。これにより、消費者が、生産者と「顔が見え、話ができる」関係で地域の農産物・食品を購入する機会を提供するとともに、地域の農業と関連産業の活性化を図る」と書かれてある。

基本的な考え方は、ひとむも理解できる。しかし、最近、「地産地消」に関して「疑問」を感じる出来事に遭遇した。スーパーで購入したキュウリ。地元の農家の○○さんが作った作物で、名前のラベルまで貼ってある。スーパーの売り場には、○○さんの写真まで飾ってある。いわゆる典型的な「地産地消」の作物である。早速購入して切ってみたら、中に「ス」が入っている。味も抜けている(抜けているというよりは、味がない)。表面の状態をみても、畑から売り場に並ぶまでの時間は結構かかっているように思えた。この時期の作物を考えると、当然ハウス栽培であろうし、露地ものよりは、生産コストがかかっているのは間違いない。「地産地消」のメリットは、地域で栽培されるので、新鮮なものが手に入り、物流コストが低い分だけ、安価に購入できる。しかも、生産者を公開することで、ある程度信頼できる。ということだろう。

このスーパーに並んだキュウリは、どうだったのか?
まず生産者。都会の高い地価の畑でハウス栽培をして作ったキュウリが割に合うのだろうか?ただでさえ、不利な条件にさらにお金をかけて作って、その「ツケ」は誰にいくの?そして、スーパーに自分の写真と名前を出すということがどういうことなのか?1本1本自分の目で見て選んで、納得のいく作物なのか?「自分の顔」として消費者の手に渡るという事実をどう考えているのか?

流通業者。畑から店に並べるまでの時間。地域でとれた野菜でも、時間が経ってから並べたのでは、地方から送られてくる野菜とは差別化できない。さらに、店での鮮度管理。ポップを作って宣伝しても、売れ残ったものを次の日並べ替えてみても、すでに「地産地消」の有効期限は切れているのではないか?

「地産地消」ならば、みんな喜んで買う?。「地産地消」という言葉だけが独り歩きしてないか?本当に大事な部分が見えていないような気がする。本当に大事な部分って何?それがうまいか?まずいか?ってことですよ。食べ物なのだから。生産者が、自分で食べて、これなら出しても恥ずかしくない(自分の作物も名前も顔も)。生産者が「誇り」をもって作る「物」の価値があるものでなければね。
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