記事
[ 総記事数:1946件 ] [ RSS2.0 ]
前のページ | B食LOGトップ | 次のページ
2011年3月31日(木曜日)
[ 23:04 ] [ ノンジャンル ]
   
原発事故で東電関係の人たち(下請会社の人たち)、自衛隊、消防庁、米軍、連日の対応御苦労様です。

かなり過酷な状況での対応には頭が下がります。しかし、寝食の情報を聞くと、ホントかよと言うくらい悲惨ですね。まともに食べず、寝るところも雑魚寝みたいな状況だそうで、いくらなんでもひどすぎる。

想像を絶する災害ではあったけれど、それにしても備えがずさんと言うか、甘いというか、あまりにもお粗末でした。

WSJの取材レポートです。
2011年3月30日(水曜日)
[ 15:36 ] [ 人夢の料理 ]
   
連日、冷蔵冷凍庫・在庫一掃セールが続くひとむ家
たまには肉喰いたい!との希望から、今日はスーパーに買い物に。ラッキーなことに豚肉特売をやっていました。計画停電の影響もあり、生鮮食料品のサイクルも短くなっているのでしょうか?できるだけ、はやく売り切りたいという目論見なのでしょうか?

冷蔵庫奥に眠っていたチーズ。真空パックしておいたので、風味は残っているようだ。チーズおろしでおろして、パン粉に混ぜます。
肉の筋切りしてから空きビンでたたく。
打ち粉して溶き卵をくぐらせ、チーズを混ぜたパン粉をまぶして、バターとオリーブオイルで焼きます。フライパンを傾けながら、油をかけながら焼きます。

ソースはサルサに赤ワインとバターを入れて煮詰めます。

少量の油ですが、時間をかけてしっかりと焼きます。
皿に盛りつけ、サルサソースをかけ、薬味とトマトを添えて、ミラノ風カツレツの完成です。
2011年3月28日(月曜日)
   
今年も、明石の伸介さんから、釘煮が届きました。
昨年もとても美味しくて、また今年も食べたいなと思っていたところでした。

ふっくらやわらか、胡麻入りで、酒もご飯も進みそうです。
味は少々甘めですが、秋田県南育ちのひとむにとっては、とても心地よい味です。たぶん、これは秋田の人も大好きなはず。

仕事がお休みの日に遊びに来た知人にもご馳走しました。
関西の人にとっては、懐かしい味であり、春を告げる味でもあります。

秋田の炊きたてのお米にのせていただきます。

伸介さんのおすすめは、明石の味付けのりで巻いて食べるのが、美味しいとのこと。
炊き込みご飯もあったので、のせてみました。
濃い味付けでも、しっかりとした味付けで山椒がきいた釘煮は、相性がピッタリです。

ここのところ、少し疲れ気味でしたが、春の便りをいただき、少し元気になりました。

伸介さん、ありがとうございました。
2011年3月24日(木曜日)
[ 11:03 ] [ ノンジャンル ]
   
懇意にしている大阪のお茶問屋の方と電話でお話ししておりました。
「東北も大変やけど、東京も混乱してはりますね。」
「ええ、そうですねん。風評被害、買貯め、放射能不安、散々だす!」

政府のわかりにくいアヤフヤなアナウンス。
不安が不安をあおり、不要な心配がエスカレートしていくような気がします。
TVでは落ち着いて行動しましょう!と沈静化に躍起になっていますが、、、、、

「計画停電のために、懐中電灯は用意できたのですが、電池の予備がないんです。」
「そら、災難だすな!うちんところに使わんのありますから、送りまひょか?」
「ほんまでっか?助かりますわ!おおきに」
なぜか、受け答えも関西弁になって(笑)。

本来ならば被災者のみなさま優先の物資なのでしょうが、ご厚意に甘えて。
一緒にお茶(ティーパック)も送っていただきました。
このお茶、お湯がなくても水だけでだせます。
ステンレスボトルにティーパックと水を入れてシャカシャカするだけ。
しっかりと濃いお茶が簡単に楽しめます。
連日のバタバタで、ゆっくりお茶を楽しむ余裕もなくしていました。
でも、こんな時こそお茶を飲んで心を鎮めるべきなのでしょうね。
被災地の人たちにも、温かいお茶をふるまうことができたら、どんなに心休まることでしょうね。被災した弟たちにも送ってあげようかと思います。
B食店情報
・店名 : 袋布向春園本店(たふこうしゅんえんほんてん)
・ジャンル : スイーツ-洋菓子
・住所 : 大阪府大阪市城東区今福西5-2-5
・TEL : 06-6932-0821
・URL : http://www.ta-fu.jp
・キーワード : 焙じ茶生チョコレート
B食店ページへ

2011年3月22日(火曜日)
[ 07:42 ] [ ノンジャンル ]
   
今回の地震は私たちに大きな教訓と警告を与えました。被災した人たちも家族や家をなくし絶望的になっている。しかし、このままではこれから生きていけないと立ち上がる人たちもたくさんいます。今までなにげなくのんびり生きていた若者も、いまこそ人のために何か役に立ちたいと、自分の将来のことを後回しにして、目の前で現実に苦しむ高齢者、障害者の人たちのために動き回る。動ける自分たちが、何かをしなくては、せっかく助かった周りの人たちが、このままではだめになってしまう。そう思って自分自身を鼓舞しているのかもしれません。

今回の災害は、すべてにおいて想定外というか想像をはるかに超えてしまったことによる被害の大きさが、そのすごさを物語っています。かなり大きな地震が来ても、役場や市役所は丈夫な建物なので、そう簡単には崩れない。津波だって、3階までは来ないだろうから、逃げる時間が無かったら、とにかく上階に避難すればいい。過去の教訓で津波が来ることは知っていたが、15m以上の大津波になるなんてことは想像もしなかった。そう、想像もしなかった事が起きている。誰しも15mの津波が来たら、ほとんどの物が流され、この世の終わりだと思ったかもしれません。しかし、現実は「この世の終わり」的な状況にあります。電気水道ガス電話のライフラインはすべて遮断。そこでは生活不能な状態で、助けを呼ぶこともできない(手段がない)。日ごろ避難訓練をしていたとしても、そこまでは訓練の範疇には無い。しかし、最悪のシナリオを考えた時に、「助けを求める手段」は必要なことだったのかも知れません。仮に20mの津波が襲って来てすべて(町の中枢機関を含む)を流し去ったとしても、高台に中枢機関の役割をする場所と衛星回線は必要だったのかもしれません。

では、個人の場合はどうでしょう?誰も助けにこない事を想定して、自力で脱出、けがの手当て、水食糧の確保。震災の前に真剣に考えていた人たちも多かったでしょう。しかしながら自然の脅威は恐ろしく人間の力では避けがたいものもあります。この場合想定するのは、命が助かって、その命をつなぐために準備しておくこと。非難する場所を把握しておくこと。そこに避難することを前提に、最小限のものは皆であらかじめ準備しておくこと、そして普段からの人と人のネットワークを作っておくこと。宮城県気仙沼南町の夢通り商店街の人たちも独自の避難所で共同生活を始めていますが、地域のつながりが強いところは、生き残った人間が力を合わせ、支援物資が届かなくても、なんとか生き延びるための努力をしています。これは被害の拡大を防ぐことにもなっています。

地震・津波とともに大きな問題になっているのは、原子力発電所の事故。非常電源が止まるなどと言うことは想定外。海水を入れて冷やすなどと言うことは考えられない(考えたくない:本音)。しかしながら放射能による汚染は拡大しつつあります。対応の遅れは、さらなる重大事故を引き起こします。たしかに、これまでの投資や、今後の電力供給を考えれば、海水を入れたくないということが、判断を遅らせる要因にもなるかもしれません。しかし大切なのは人間の命と安全な生活です。最悪のシナリオは、原発が崩壊して放射能が拡散して人体に影響が出てその場所に住めなくなること。こんなシナリオを描いたら、絶対に原子力発電所の建設なんか不可能です。専門家の人たちは、この最悪のシナリオも考えたくはないが、起こりうることは知っていたはずです。このシナリオを考えたら、自分たちの計画が前に進まないので、こういうことは絶対にあり得ないと思って建設計画を進めてきたのでしょう。しかし現実にはすでに起きている。このようなことが起きた場合にどう対応しようか?などということは誰も考えていなかったでしょう。しかしながら、海の近くに原発があったのはなぜでしょう?万が一に備え、水が必要になるからではないでしょうか?これは、こうなった時のための保険だったのでしょうか?廃炉にするためには10年以上の年月がかかると言われます。そうなったら、ここに住む人たちは、その間家に戻ることはできないのでしょうか?いや、もう、戻りたくないと思うのではないでしょうか?最悪のシナリオでは、そこに住む人の命と生活のすべてを奪うことになるのです。関東圏に住む人たちは、計画停電の中で生活していますが、これまでのように電気は作れなくなるでしょう。ましてや、新たなる原子力発電所の建設計画は当面なくなるでしょう。これからは電力に不自由する生活を覚悟する必要があります。

ひとむがサラリーマン時代に口酸っぱく言われ続けた言葉が蘇ってきます。「コンテンジェンシープラン」(contingency plan)。それは、緊急対応措置および計画です。外資系のIT会社で、これでもか!これでもか!みたいな働きを要求する会社でしたから、身体がすっかりそういう体質になってしまいました。

コールセンターのマネージメントをしていたときに、日本で初めて電話交換機とPCを連動させた顧客管理システムの設計に携わり、非常事態のシナリオを考えさせられました。日本全国停電になってシステムが作動しないときは、当然のことながら電話もこなくなり、作業が停止します。この場合の最悪のシナリオは、会社のある地域、あるいは会社自体が停電してサーバがダウン、顧客情報が見えない!という状況です。こうした状況でも全国から1日数千コール電話がかかってきます。こうなったら、コールセンターはパニックです。コンピュータが使えないということを前提に仕事をする。どうしたら、お客様に迷惑をかけないように対応できるか?この場合「臨機応変」という概念が重要になります。ルールは大切ですが、非常事態には例外処理を認めることを現場の判断でさせる。ホストがダウンしても、分散して対応し乗り切る。そんな計画を立てさせられました。

物流オペレーションのマネージメントをしていたときに、本社の重役が工場見学に行きたい。工場見学の後に、大切な会議が入っているので、絶対にスケジュールが遅れることは許されない。という指令が出されました。工場見学は車で案内。しかし、途中交通渋滞に巻き込まれたら、身動きできない状態になります。さあ!どうする?運転手、情報収集係、接待係の3名でチームを作り、コンテンジェンシープランを策定。運転手はとにかく様々な帰社ルートの可能性を把握。情報収集は、周囲の情報を逐一集める。なるべく高速道路は避けて一般道の空いている場所、時間帯を狙って走る。交通渋滞に巻き込まれても、最寄り駅に車を付けて、運転手を残して、情報収集係、接待係は、重役を誘導する。最寄駅からの路線図、時刻表、おおよその所要時間を調べておく。正直、ここまでやる必要あるの?と疑問に感じました。しかしながら、これは非常時に仕事を旨く遂行させるためのトレーニングだったのです。この時は、何事もなく無事に計画通り進みました。しかし、何も考えていなかったら、行動していても心にゆとりはなかったことでしょう。

コンテンジェンシープランは、常にBest Case, Most Likely Case, Worst Caseの3つのパタンを考えるように言われました。Best Caseは、事なきを得て普段通りに進んだ場合。Most Likely Caseは、予想されるアクシデントが発生した場合の対応。Worst Caseは、想定外の事態が起きた場合の対応。「想定外」というのは、想定したことから外れるから起きるもので想定しづらい!「まさか、そんなことあるわけないだろう」がまさにWorst Caseなのです。災害に遭って命を落とすのもWorst Caseかもしれません。しかし、災害に遭って命が助かり地獄を見るのもWorst Caseかもしれません。

災害時のコンテンジェンシープランは、「生き残った場合にどう生きるか」ということを考える事なのかもしれません。
2011年3月18日(金曜日)
[ 10:01 ] [ ノンジャンル ]
   
東京も計画停電が実施され、不自由な生活が始まりましたが、被災地の大変さを考えれば、この程度のことでブウブウ言っているわけにはいきません。実際に電気が来ているのだし、停電時間の予測できるのだから、それに基づいた行動をすればよいだけの話。

昔の生活の様に、日が昇ったら起きて活動し、日が暮れたらさっさと寝る。電気があるおかげで、24時間自分の思うような生活スタイルを作ることができたのは事実ですが、これからは、その考え方も難しくなるのでしょう。ひとむの場合、朝早く起きて夜は早く寝るという生活が一般的なので、時間帯生活スタイルはほとんど変わりません。しかし、停電になる時間がわかることによって、それぞれの作業の計画を立て、効率よく時間を使う必要が出てきました。これまでは1日中PCに向かう日もありましたが、時間を決めて集中的に作業を行い、停電の時間中は、電気がなくてもできる作業に集中する。

電気が水や空気のようにあたりまえのように感じてしまっていては、そのありがたさに気が付きません。水や電気が使えることが幸せでありがたいことなのだと思いなさい!という教訓なのですね。

幸い、東京はずっと電気が使えないということではないので、電気のあるうちに出来ること。それは、お湯を沸かしておくこと。冷蔵庫に氷を作っておくこと、充電できる機器に充電しておくこと、でしょうか?つまり、電気エネルギーを蓄えるか、または他のエネルギーに変換して貯めておくことです。

地震が起きる一月ぐらい前にAmazonで湯たんぽを買いました。これが現在非常に役に立っています。電気が止まるとエアコンもストーブを使えないわけで、服を厚着して対応というだけでは心もとない時もあります。停電の時間がわかるのであれば、事前にお湯をわかし、それを湯たんぽの中に入れて熱源を確保します。使ったお湯は冷めても水としての利用もできますし、ぬるま湯の状態で顔を洗うのにも使えます。夜寝る前に布団の中に入れておくと、朝まで暖かです。もし、お湯を沸かせるのであれば、被災地の人たちの救済にも一役買ってくれそうなグッツかも知れません。

電気ガスが無い状態でも生活することを真剣に模索しなくてはいけない状況になりましたね。
2011年3月15日(火曜日)
[ 18:40 ] [ ノンジャンル ]
   
三陸大船渡市赤崎町は、高級ブランド牡蠣の養殖で有名な場所ですが、今回の大地震で壊滅状態と思われます。2日前の3/9に起きたM7.3の地震の後に、一夜明けた養殖場で被害状況を調査していたようです。前回のチリ地震で、養殖場の施設の強化を図っていたようで、なんとか頑張って立て直そうと思っている矢先に11日の大地震。

川崎の市場の仲卸をしているおじさんに聞いたら、知り合いに連絡も取れず、おそらく全滅だろうと。数日前に仕入れた赤崎の牡蠣。焼牡蠣にしてオイル漬けにしたものを、昨晩食べました。もう、これでこの美味しい牡蠣を食べられるのも最後かもしれない。でも、これを一生懸命に作ってくれた漁協の養殖組合員の人たちは大丈夫なのか?心配です。手を合わせるように尊い牡蠣でした。なんとか、無事でいてください。

戦争を経験した昔の人たちは、不自由のない生活を夢見て一生懸命頑張ってきました。おかげで、その子や孫たちは、不自由のない生活を送ることができました。しかし、ひとたびこのような大地震にあうと、たちまち不自由な生活にさらされます。

今朝、母と電話で話しました。
母「これからどうなるんだべな?」
ひとむ「みんな気の毒だなや!」
母「まだ、昔の貧乏だったころに戻るんだべか?」
ひとむ「たぶん、ぜんぶやり直しだべ!」

ここで、ふと思った。
たしかに母の世代は戦争を経験し、貧乏で苦しい生活も体験してきた。しかし、世の中の多くの人たちは、平和な不自由のない世界に生まれ、その恩恵を受けてきた。しかし、今回の大地震は青天の霹靂であり、これまでの世界観をまったく変えてしまう大事件・大事故である。「貧乏だった頃にもどってやり直し」という話ではない。母が若いころに第二次世界大戦がはじまり、行く末を案じ、不安のどん底に突き落とされた時と同じ状況なのではと。

しかしながら、その時の日本人の多くが絶望する中、供に助け合って「平和で不自由のない世界」を夢見てみごとに復活させることができた。今回の大地震は大きな試練となるかもしれないけれど、必ず先人たちと同じように逞しく復活できると信じます。必ず日本人としての誇りを取り戻す日が来ることを信じます。

「あなたにとって、日本人としての誇りは何ですか?」と問われたときに、「あのどん底から這い上がってきたことです!」といえる強い日本人に。
2011年3月13日(日曜日)
[ 22:15 ] [ ノンジャンル ]
   
TVで連日放送されるたびに、被害の大きさに驚いております。被災された皆様には心よりお見舞い申し上げます。ひとむも実弟が仙台におりまして、1度だけ大丈夫だと連絡(留守電)があったのですが、その後連絡が取れません。TVの番組を見るたびに不安になります。どうが、みんな無事であってほしい。今自分が何もできないのが、とてももどかしいです。

11日の日は、昼食をとってTVを見ていたときに、大きな揺れがありました。いつもと違う大きなゆれだったので、部屋の外に出ました。揺れが大きく長かったので、窓の手すりにつかまり、治まるのを待っていたのですが、その間に自分の部屋の棚が倒れ、本が雪崩のように落下。パソコンの前にいたら、潰されていました(汗)。

家族にメールで安否を確認。母はメールの使い方を知らないので、近所に住む横手の友人にメールして、様子を見に行ってもらった。停電で携帯電話の充電ができないらしかった。しかし、友人が気を利かせてくれて、ソーラー充電器を買って来てくれたらしい。実にありがたい。後から母に連絡したら「おめも、ええ友達もたなーー」(お前も良い友達もったな)。「ありがでーーよーーー」って言ってました。

その時点でTVではあまり詳しい情報がなく、とにかく非難優先ということで、着替え、薬、飲み物、懐中電灯をもって自分の車に避難。車の中には、水、カセットコンロ、ガス、寝袋、クーらボックスが積みこんであるので、家に戻れなくなっても、とりあえず2-3日は宿泊できます。

ラジオの電池が切れていたので、まず最初にコンビニ(ろーそん)に走りました。店はすでに停電していて真っ暗。お客は1人だけいましたが、買い物はできるらしい。そこで買い込んだものは、ウェットティッシュ、軍手、ガムテープ、水、ガスボンベ、電池、パン、カップラーメン、ティッシュ。全部で5000円以上。店員さんに「ぽんたカードつかえますか?」と聞いたら「絶対無理!」と(汗)。

1時間後にコンビニの前を通ったら、長蛇の列ができていました。それからは、どこのお店も長蛇の列で、買い物ができないような有様でした。まず、コンビニに行って、必要最低限のものを買っておいたのは正解だったかも。でも、本当は普段から心がけておくべきことなのでしょう。

もう一度、家に戻り、ブレーカを落とし、再度火の確認を。風呂の湯船の水は抜かずにとっておいたので、とりあえずトイレは使えました。でも、吸水用バケツは必需品ですね。

電源を切ったので、冷蔵庫、冷凍庫の中身が心配。冷凍の物は、いずれ捨てるか食べるかになると思ったので、とりあえず保冷材代わりにクーラーボックスへ。ヨーグルト、チーズもはやいところ食べてしまおうと、とりあえずクーラーボックスへ。

翌日には、電気、ガス、水道も復旧していたので、とりあえず、ポリタンクに水50Lを補給。浴槽には水を満水に。そして、朝一番にガソリンスタンドに行って車に給油。(昼ごろには、スタンドにも長い列が)。その後コンビニに行って現金をおろす。手頃なサイズのショルダーバックに身のわりの必需品をまとめ、いつでも持ち出しできるようにまとめておきます。翌日のお店には、ガスボンベ、単1電池は、どこを探してもありませんでした。

ひとむのアウトドアの経験から、あると便利なものとして、
紙コップ、ビニール袋、ライター、消毒用アルコールスプレー、ゴム手袋、カッター、ペンライト、マジックペン、マスク
は用意しておくと、とても役に立ちます。

弟たちが、どんな状況なのか心配ですが、なんとか無事でいてほしいものです。
今回の地震で普段の心がけが大切なことを身につまされました。
前のページ | B食LOGトップ | 次のページ